四諦八正道(したいはっしょうどう) 2018 8 16
先日、朝早く目覚めたので、
「今日は、電車の車窓から海でも眺めようか」と思っていると、
何かが来て訴えているような感じがしました。
実は、私は、霊感があります。
この訴えは、よく聞いてみると、
「山へ来てほしい」というような趣旨でした。
今は、猛暑なので、「それもよいかな」と思い、
JR時刻表(交通新聞社)の路線図を見てみると、
急に私の魂が「軽井沢方面」に引っ張られるような感じでした。
正確には、「軽井沢の手前」という感じでした。
最初は、気楽に「海よりも山の方が涼しい」と思い、
JR高崎線で「高崎駅」まで行き、
そこから信越本線に乗り換えて、
「釜めし」で有名な「横川駅」に到着しました。
信越本線は、昔は、軽井沢駅方面へ伸びていましたが、
今は、新幹線が開通した関係で、「横川駅」までとなっています。
そこからは、連絡バスで軽井沢駅へ向かうことになります。
このバスは、碓氷峠(うすいとうげ)を通ることになりますが、
そこで、数年前の新聞記事を思い出したのです。
夜行バスが未明に転落事故を起こし、
多くの若者が亡くなったのです。
仏教的に言えば、いまだに若者の魂は、
成仏できてなく、あの場所をさまよっています。
真に気の毒なことです。
ここで説明が必要でしょう。
人間は、肉体と魂(霊体)で構成されていますが、
死ぬと、魂が肉体から離れて、
自分の肉体を上から眺めることになるので、
自分の死を自覚できますが、
不慮の事故の場合は、このような自覚をすることができないのです。
そのため、自分が死んだことがわからずに、
事故の現場を何年もさまようことになります。
特に、今回の事故の場合は、未明の事故であり、
若者たちは、熟睡している間に事故に遭遇してしまったので、
自分が死んだことを理解するのは難しかったと思います。
このような場合は、宗教家が救済をしなければなりませんが、
現代の宗教は、儀式や作法に夢中となって、
救済力があるかは疑わしいのです。
釈迦が説いたのは、
「心の救済」であって「儀式」や「作法」ではありません。
「四諦八正道」とは、
長い人生を生きていくうえで、
「四苦八苦」という人生の苦しみを滅することや、
苦しみから逃れるのではなく、
八つの正しい道を生きることで、
苦しみは消えると説いたのです。
「正見」(正しく見る)
「正思」(正しく思う)
「正語」(正しく語る)
「正行」(正しい行い)
「正命」(正しく生きる)
「正精進」(正しく修行する)
「正念」(正しく念ずる)
「正定」(正しく精神統一(瞑想)をする)
「なんと八つもあるのか」と思ったでしょうが、
2500年前のインドでは、
「八つの正しい道」を熱心に聞く人々がいたのです。
あれから2500年たって、我々は進歩しているのか。
現代人にとっては、最初の「正見」すら難しいでしょう。
四つの桜 2003 4 5
桜は、春が来たことを告げ知らせる。
しかし、桜には四つある。
「天国の桜」
その心、天国ならば、桜は「天国の桜」に見える。
「成功の桜」
この春の成功者は、桜は「成功の桜」に見える。
「失意の桜」
この春、失意のなかにある者は、桜は「失意の桜」に見える。
「子供の桜」
子供から見れば、木に花が咲いている。
しかし、桜は桜である。
人間がどう思うと、桜は春を告げる仕事をしている。